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ムクドリノート 10

「僕は僕の子供達を戦争へは行かせない -I'll never send my children out into the war to fight - 」

 Written by Hideshi Hachino, English lyrics by Sean Mulrine

 

作詞作曲 八野英史

訳詞と文章 ショーン マルライン

翻訳 山内章子

 

 

(訳者より)

文章を書いてくれたショーンくんはまだ二十歳のスコットランドの若者です。八野さんからしたらまさに子供のような年齢の彼が、このプロテストソングに心を打たれ、英語でうたえるように歌詞を書きました。年齢も言語も住んでいる国も違うけど、強く平和を願う心は同じです。これは直訳ではなく、彼の中で吸収消化されて再構築された「僕は僕の子供達を戦争へは行かせない」なのです。彼の若さが見えてくるような歌詞だと思います。彼のコメント、そしてオリジナルの八野バージョンとも合わせて読んでみてください。

 

(Note by translator)

This has started with Hachino B-flower's protest song, simply recorded on a hand-held. Sean here is a 20-year-old Scottish lad, who has responded to Hachino's plea of spreading the message of peace across the globe. We really liked the result so we publish it here with his kind permission, along with his comment and Japanese translation.

 

 

<< Hideshi Hachino original lyrics >>

 

僕は僕の子供達を戦争へは行かせない

人を殺していいと教えられるわけがない

僕は僕の子供達を戦争へは送らない

風邪をひきましたとズル休みをさせる

 

わたしはわたしの子供達を戦争へは行かせない

女を犯しなさいと焚きつけたりはしない

わたしはわたしの子供達を戦争には捕られない

足を挫きましたと見学をさせる

 

くだらない世の中だ

くだらない世の中だ

くだらない世の中だ

間違っている

 

総理大臣よりも大統領よりも国家主席よりも 僕を信じて

 

法律よりも宗教よりも お願い子供たちよ わたしを信じて

 

僕らは子供達を戦争へは行かせない

殺られる前に殺れとは口が裂けてもいわない

僕らは子供達を戦争へは送らない

そんな子はいませんと背番号を外す

 

2014/7.1 メモ録音音源 http://youtu.be/_m7hUDdMbbM

 

 

<< English lyrics by Sean Mulrine >>

 

I'll never send my children out into the war to fight

I have no reason to teach them that killing others is right

I'll never send my children out into the war to fight

and when they come looking I'll tell them there's no such child in sight

 

I'll never send my children out into the war and the strife

No, I'll never have anyone force them to rob someone of their life

And I won't let my children be caught by the nets of the cruel battlefield

Can't you see? They've broken their leg, and they're unfit for duty 'til healed

 

They say it's a worthless world

An old, cold and loveless world

They say it's a worthless world

But I'll tell you that they're wrong

 

More than the prime minister, more so than men on TV

And more than the president, please, have faith in me

More than the law, more

than Bibles, temples and priests,

please, all you children, please, listen to me

 

No, we won't let our children be another grave freshly filled

Before I let them arm you, I'd sooner hope to be killed

We'll never send our children to cause or to come to harm

For you were born to be more than numbers, than bodies in uniform

 

 

ぼくは、ぼくのこどもたちを戦争には行かせない

ひとを殺すことを正しいことだなんて教えられるもんか

ぼくは、ぼくのこどもたちを戦いには送らない

徴兵がきたってそんなこどもはどこにもいないよって言ってやる

 

ぼくは、ぼくのこどもたちをいかなる戦いにも送らない

絶対に、絶対に、人の命を奪う側にまわらせない

ぼくのこどもたちが戦場の無惨さにひきずりこまれるなんてごめんだ

ほら、足を折っちゃったから入隊は無理なのさ

 

この世界はくだらないと

古くて冷たくて愛のない世界だと

どうしようもない世界だと人はいうけど

ぼくはそうは思わない

 

首相よりもテレビの声よりも 

大統領よりも

ねえ、ぼくを信じて

法律よりも どんな教典よりもどんな偉い坊さんよりも

ねえみんな、ぼくに耳を貸してよ

 

ぼくは、ぼくのこどもたちのために真新しい墓を掘るなんて嫌だ

武器を受けとる前に死んでしまった方がましだ

ぼくのこどもたちを殺るか殺られるかなんて場所には行かせない

こどもたちは人として生まれてきたんだ、ただの番号じゃない

 

立派な戦闘服を着た死体になるために生まれてきたんじゃないんだ


 

<< Comment by Sean >>

 

Even in such a rough form, this is a song that's made an impact on just about everyone who's listened to it. And that's proof enough of the power in the warm composition and its message of peace in the face of adversity, even in the most hopeless, looming situations.

 

The saddest thing about following news of war from a safe place might be watching the world depict one side or as "evil", while the other is "good", is bringing "justice" and "freedom" to where it's needed. But in reality, on every side of a battlefield are children who simply don't want to die. The concepts of good and evil are bigger than those children. Everyone wants to believe they're doing what's right. 

 

So long as you're able to do something to help someone, the world isn't hopeless. And in order to help that message spread, I tried to write English lyrics that would retain the simple flow and stark honesty of the original. With the idea of "a song that anyone can sing" in mind, this is how it ended up, and I hope I can help it reach even more people.

 

Messages like the one expressed in this song remind us of the human cost of war that the world reduces to facts and figures. It's simple enough for anyone to be able to sing, but because of that simplicity, its impact is especially strong: a perfect peaceful protest song.

 

 

ただ弾いて歌っただけのメモ録音なのに、この曲は聴く人みんなに強烈な印象を与えた。それって、このやわらかな曲調とその平和へのメッセージが絶望感のじわじわと忍び寄るこの世相という逆風に立っても、すごい力を持つんだっていう証拠に他ならないと思うんだ。

 

ぼくらはこうして安全な場所からどこか他のところで起こってる戦争のニュースを眺めている。悲しいのは、戦争では世の中が「わるもん」と「いいもん」を決めつけて、「いいもん」側が「正義」だとか「自由」なんてもののために戦ってることになってること。でも実際にはどっちの側の戦場にだって、死ぬのは嫌だーっていうこどもたちがたくさんいるんだよ。いいもんだろうがわるもんだろうが、こどもたちには知ったこっちゃない。それでも皆、自分たちこそが正義なのだと信じて戦うしかないんだ。

 

困ってる人を助けたいと思うぼくらに何かができる道が残されてる限り、そこに望みはあると思う。このメッセージを広げていきたいからぼくは、この曲に英語の歌詞をつけようと思ったんだ。なるべくオリジナルのシンプルな流れとストレートなメッセージ性をそこなわないように気をつけて。「誰にでも歌える曲」っていうコンセプトで出来上がったこの歌詞が、原曲のメッセージをさらに広める手助けになればいいなと思ってる。

 

この曲が投げかけるメッセージを読むと、報道では簡単な数値ですまされてしまってる戦死者も失われたひとの命なんだってこと、改めて考えさせられるよ。極めてシンプルに書かれた曲だから誰にでも歌える。でもだからこそ、そのメッセージがことさら引き立つ。お手本みたいなピースフル・プロテスト・ソングだ。

Seeds Recordsのnoteページから無料ダウンロードできます!
https://note.mu/seeds_records/n/n05c8af1b7325

ムクドリノート クリスマススペシャル 「1965年のクリスマスタイム」

文章:サロ

 

 

冬休みの図書館の学習室は 

中学生から高校生まででいっぱいだった

 

一緒に座る?と彼に

言われたけど

私は断った


誰かに見つかって冷やかされると面倒臭いからと言ったけど
違う

私は程よい距離を保って

勉強する彼の横顔を見たかったから

 

たまに眼鏡を中指で上げるあの仕草とか 

少し遠くから見たかった

 

眼鏡を外したり 

かけ直す時にするしかめ面も見たかった


何より勉強するのが好きな彼を見たかった
図書館が似合う彼
勉強が似合う彼
参考書や問題集をめくる姿まで素敵だった
そんな風にボーッと見とれていると
こちらに気づいて

「ちゃんと勉強して!」と声に出さずに

その薄い唇を動かしてみせた


正確にはクリスマスではなかったけど
2人だけでクリスマスパーティしようと約束した
図書館と塾の合間の僅かな時間だったけど
受験生の私達にはそれ位しか時間がなかった
というか 
本当のクリスマスは家族で過ごさなければいけない素敵すぎる家庭の彼に

「私も…」と 

嘘をついてしまった


そんな事はない 

バタークリームたっぷりのケーキに

近所の肉屋で買った骨付きのチキンをかじるだけの夜なのに


待ち合わせの公園に彼は先に着いていた
自転車を猛スピードでこぐ私を待っていた彼は

自分で言うのもなんだけど

私を見つけた瞬間

凄く嬉しそうな顔してた


ベンチからスッと立った彼は紺色のダッフルコートを着てた

クラスの男の子なんて

みんなシャカシャカ音がするナイロンの上着しか着ないのに


なんてこの人は素敵なんだろうと思った
テーブルを挟んで向かい合って座った

風で髪が揺れる

しかも揺れなくていい前髪が


おでこのニキビをしきりに隠す私だけど

目の前の彼は

西日に照らされて

ただでさえ茶色い彼の髪が綺麗に光る

私がそっちに座ってれば良かったと悔しくなった

 

「やっぱり寒いね外は」と 

彼はカバンをガサガサさせた後ポットを出した

「キャンプ用のだけど保温効くから」

と、ホーローのカップを2つ


それまで嗅いだ事のない香りの紅茶を注いでくれた

 

「これは杏のクラフティ 

僕が好きなのはサクランボのだけど 

季節じゃないからね」と

言ってアルミホイルに包まれたクラフティとやらが目の前に置かれた


「飲み物とお菓子は用意するからね」とは聞いていた

なんでも 

一緒に住んでるおばあちゃんがお菓子作りの名人だって

 

嗅いだ事も無い香りや

見たことも無い焼き菓子に

面食らった私に「美味しいよ、食べて」と 

紙皿に取り分けてくれた

 

寒空の下

西日に照らされ

湯気の立つ紅茶とクラフティを食べた

 

おままごとの様なお茶会

2人の周りを枯葉がカサカサ舞う


綺麗な枯葉を1枚拾ってみせた彼
屈んだせいか眼鏡が少しずれていた
とっさに私の手が伸びた

いつも彼がするように

中指でそっと上げてみた

 

時間が止まるって

本当にあるのだと

その時初めて知った

 

息がかかる程の近さなのに

照れる事なく見つめ合った

というか 

動けなくなってしまった

次 

どう動いたらいいのか分からない


彼は私が直してあげた眼鏡を外して
そっと私に口づけた
私は驚かなかった
彼の唇は
香り高く甘かった
塾の時間だと慌ててテーブルを片付けながらもう一度
さっと口づけた彼
同級生は知らない
私達の事
ガリ勉の眼鏡君が
こんな風に私に優しくしてくれる事
こんな優しいキスをしてくれる事
暖房の効き過ぎた塾の教室
さっき交換したばかりのシャープペンをカチカチさせる
ほんの数十分の間に知ったもの

素敵な香りの紅茶

甘酸っぱい杏のクラフティ

薄いけど熱かった唇

 

メリークリスマス 

15の私

 

ムクドリノート9 その3 「永遠の59秒目(2014 Kyoto Version)」

文章:高田博之

 

『これからb-flowerを聴くリスナー達へ』

 

音楽を聴く上で最も大切な事、

それは伝わってくる音を感じ、語られる言葉を消化し得ること。

これに尽きると思う。

 

b-flowerとは80年代に生まれ主に90年代を通じて活動していた「ネオアコ」バンド。

言葉は日本語。聴こえてくる音はリリカルな言葉と美しく繊細なメロディー。

中心人物八野英史の紡ぎ出す独特の世界観を持つ歌詞。

それ故バンドはその活動期間一貫して孤高とも取れる地位を確立し、

他のバンドとは一線を画すファン層の確立と支持を得てきた。

 

「永遠の59秒目」「動物園へ行こうよ」今回発表された2曲、

どちらも90年代に発表されていた旧作のリメイク。

古くからバンドを支持してきたファンにはお馴染みの名曲として認知された楽曲である。

 

しかしそれら幾つかのb-flowerの音楽をめぐる要因、

僕はこれらを一度リセットしてみる事を勧めたい。

 

先に述べた様に、音楽とは、聴こえてくるものが全てである。

その前では新も旧もなく、伝わってくるものの感じ方に理屈も理由もない。

無であればある程心に染み渡ってくるのだ。

 

聴き方感じ方、それら全て聴き手の自由である。

解釈の仕方に正論はなく、聴いた人がそれぞれのストーリーを自由に被せればいい。

誰に遠慮することもないし、周りを気にする事も必要ない。

 

音楽とはそういうものだ。

 

新しいb-flowerの音楽はそれに満ち溢れている。

優しく力強く。決してノスタルジックでなく今を生きる僕らの為に。

 

これからb-flowerを聴くリスナー達へ。

古い舟をいま動かせるのは古い水夫ではないだろう。

ここからまた新しく始まるのだ。

 

 

 

ムクドリノート9 その2 「永遠の59秒目(2014 Kyoto Version)」

文章:山内章子

 

b-flowerの永遠の59秒目(2014 Kyoto Version)がリリースされたのが火曜日。

配信開始直後からツイッターに続々とあがってくるファンのみなさんの声。

リリースにあたって、何かしなくっちゃ!でも何をしたらどうしたらいいの?っていう自分の中の焦りは即解消されてしまいました。

とにかく、みなさんの声を集めなくっちゃ!

ちっさいつぶやきだって、集まったら大きな声になるんだもの!

 

それ以来ずっととにかく声をひろって、RTして、

でもそれは機械的なことじゃなくって、ほんとうにうれしかったから。

どうやったってこれだけのファンを物理的に一カ所に集めることは不可能、

だけどこうやってその声がまとまって聞けるなんて、ほんとに素晴らしいよね。

 

それで絶え間なく上がってくる言葉を追いつづけて、思ったよ。

今回のリリースは両方とも昔の曲を新しくレコーディングし直したもの。だけどみんな、曲をすでに知ってるということをマイナスではなくむしろ、あの頃と今のb-flowerがどう変わっていったのかということを確認するプラス思考で聴いているっていうこと。

私ももちろん、そう。

 

きらめく若さと繊細さから、成熟した重みの感じられる音への変化。

この力強さに…ものすごい安堵感を覚えました。

彼らは、まだここにいる。しっかりと。地に足をつけて。

八野の歌うことばはそのまま私たちの心に届く。

ぜんぶ、すべて、私たちはこの音楽を両腕でしっかりと受けとめる。

ある意味、実際のカムバック作品だった2012年の「つまらない大人になってしまった」よりも今回の「永遠の59秒目」に本当に戻ってきたb-flowerを確認できたのではないかしら?

 

だからこそ、思うんです。

この素晴らしいバンドを、もう二度と沈ませてはいけないって。

このバンドは遅かれ早かれ、絶対に正当な評価をされる時が来る。だけどそれが「起こる」ことを待っていては手遅れかもしれないのです。それは、私たちファンが「起こして」いかなくちゃだめなんだよ。東芝EMIという後ろ盾をなくして久しい彼らの、今の後ろ盾は私たちファンなのだから。

 

私はこれを、昔彼らのリリースをしたレーベルオーナーとしての義理で言ってるわけではなく、友達のよしみで言ってるわけでもないんだよね。

私ほんっとにb-flowerというバンドが好きだから。

それも、この数年あらためて聴き直してみて、その輝きを失わないクオリティにただただ、惚れなおしたと言った方が正しいかもしれない。

だから、だから、もう何かをしないではいられない!

ことさらシャイなバンドのみなさんに代わって、私が丘の上の阿呆になってへんな鳥の絵の旗を振っちゃうよ!もちろん、道すがら集まってきた「ムクドリの会」のみんなと一緒にね。

それから、これを読んでくださってるあなたも。

 

…と、そういうことが頭の中をぐるぐるかけめぐっていた昨日、

美しい偶然が起こりました。

火曜日に「永遠の59秒目」とカップリングでリリースされた「動物園へ行こうよ」のオリジナルバージョンも収録されていたマキシCD ”Nobody Knows This is Nowhere”のジャケット写真の男の子、当時3歳のわたしの甥っ子サム君がその晩、お父さんになっていたのです。

新しく生まれた命と新しく生まれ変わった楽曲がフルサークルで繋がったんです。

 

おっきなサム君に抱かれてるちっちゃな赤ちゃんは、

b-flowerと共に流れていった年月と、これから再生していく新たなb-flowerを象徴しているようでもありました。

 

 

 

ムクドリノート9 その1 「永遠の59秒目(2014 Kyoto Version)」

文章:日下部将之

 

今年、「ムクドリの会」のイベントのためにわざわざ上京してくれた八野英史。本人と一緒に音源も上京してくれてて(正確には先にデータで送って貰ってたんだけど)、会のイベントにて、リテイクされた「永遠の59秒目」を初の一般公開をさせて貰った。そんな曲がようやく10月にリリースされる。オリジナルは6枚目のアルバム「b-flower」に収録。ただし、実際にはイベントの時にかけたやつとは、また別のテイクが今回採用されてる、とのこと。イベント来た人はレア体験だったわけですね。

 

 

前に八野ブログだったと思うんだけど、過去のbの作品の再発が諸般の事情で難しい、と言っていたかと思う。また一部の作品についてはYouTubeやサウンドクラウドなどでの公開も困難、という話も耳にしていた。ただ、「リテイクなら大丈夫らしい」ということらしく、今回リリースされる2曲以外にも、リテイクは進めていて、随時リリースの運びになる様子。

 

で、そういう話になると、当然、ひとつの疑問が浮かぶことになる。

 

「リテイクする曲のセレクトって、どんな基準で?」

 

答えは本人曰く、

 

「いま歌ってもおかしくないもの。いまリテイクする余地が、意味があるもの。」

 

これ、イベントの打ち上げで図々しく色々訊きまくった時に聞いた話。確か、

 

「気に入ってる曲を録り直した、みたいなことなんですか?」

 

と尋ねたと思うんだけど(この時点でかなり酔ってたからさ、うる覚えっす)、

 

「好き嫌いではなくて、例えば「リラ」みたいな曲は、完成してるってのもあるし、もう50になる僕にはリアリティを持って歌えないんですよ。」

 

という内容の回答だった。

 

と、いう話を踏まえて、改めて「永遠の59秒目」を聞いてみる。

 

 

かけがえのない何かを探そう

夢の続きを見よう

永遠の恋かもしれないな 

永遠の 永遠の

 

このまま時を 日々の暮らしを

笑って行ければいいね

永遠の恋におぼれたいな

永遠の 永遠の

 

 

アレンジについては、新旧共にbのメンバーと細海魚が手掛けているんだけど(旧の方の時代はまだ外部協力なので、クレジットもb-flower+細海魚。新の方はもうメンバーだから、クレジット上はb-flower)、旧の方だは上に引用した歌詞、サビのところで、生ストリングスが高揚感をアシストしてる。アルバムでは「蛍」の後に置かれているんだけど、「蛍」が残した「ほのかな灯」が、この曲で広がり、ゆっくりと、しかし確実に視界が、空が明るく開けていくような気分になる。

(余談ながらついでに言えば、アルバムでは「永遠の59秒目」の後に置かれた「Giant Killer」によって、明るさ、高揚感はピークに達する。ここが「b-flower」というアルバムのいくつかあるハイライトのひとつであり、そういうことはアルバムを通して聴くことでしか得られない快感。なので、「b-flower」はiTunesで買えるから、試しましょう→https://itun.es/jp/_mz8Q)。

 

翻って新の方、今回の「2014 Kyoto version」を聴く。同じくb-flower+細海魚のアレンジながら(って、新の方、宮大が今回不参加なので、厳密には4人のメンバーのアレンジ、ってことになるんだけど)、全体にトーンは落とされている。八野英史の歌も抑え気味。16年という年月を経たことを窺わせるサウンドであり、アレンジだな、と思う。

 

しかし、それは単に「老いた」という話では全くない。細海魚の静かながら力強いタッチのピアノ、ブルージーに抑制された鈴木浩のギターソロ、相変わらず歌の背中にそっと手を当てて、支えながらもゆっくり押していくような岡部亘のドラミング、そんな落ち着いた、力強いサウンドに支えられながら、16年前に書いた歌詞を、いくつになろうが揺るぎない心性であることを窺わせる低めのトーンで歌い紡ぐ八野英史を聴いていると、16年前に描かれた「嘘みたいに綺麗な色をしてる」何かを追い求めることは、とても、とても尊いことなのだ、という思いを抱かされる。

 

そして、それは「キラキラとして」た16年前のオリジナルにはない、2014年の、今のbの、新しい魅力になっている。本当の「つまらない大人」には決して描けない、鈍くも光り輝く灯が、この新しいバージョンには、ある。

 

 

こうなってくると、片っ端からリテイクをやってくれまいか、と思うし、当然新しい曲も聴きたくなる。けど、それもこれも、おそらくは受け手のリアクションによるところが大きいはず。

 

よって、皆さん、買ってね。損はないから。

 

© 2014 by Friends of b-flower + Livingstone Daisy

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